さて、考える力の考察 今回は「論理的思考能力」の続き、②妥当な根拠 です。
前回の「論理的思考能力」①定義 では、論理的な主張となるためには、妥当な根拠が重要となることを説明しました。
今回は、じゃあ具体的にどうなったら根拠が “妥当” だと言えるの?ということについて考察します。
考える力の考察 記事一覧 第1回「考える力の重要性」 第2回「汎化能力」 第3回「想像力」 第4回「メタ認知能力」 第5回「論理的思考能力」①定義 第6回「論理的思考能力」②妥当な根拠(本記事) |
「妥当な根拠」の構成要素
前回の例を基にして、「妥当な根拠」についてもう少し掘り下げていきましょう。
Aさんの主張:「Bさんは、太るよ。」
Aさんの根拠:「だって、毎日昼食がファーストフードだから。」
Bさんの主張:「太らないよ。」
Bさんの根拠:「だって、食べているのは豆腐バーガーで、フライドポテトはサラダに変更、飲み物はダイエットコーラだから。しかも、夕食は鶏ささみのサラダだけにしてる。」
この例では、Aさんの主張「ファーストフードで毎日昼食を取っているから、太る」は、妥当な根拠ではありませんでした。ファーストフードにもヘルシーなメニューはありますので、「ファーストフードだから、高カロリーの食べ物に違いない」と決めつけてしまっていることが、この根拠の欠陥だと考えられます。Aさんは、妥当でない根拠を基にしたため、間違った結論に達してしまっています。
Aさんの脳内では、このような考えが浮かんでいたはずです。
(Aさんの前提):(ファーストフードは高カロリーの食べ物ばかりである。)
(Aさんの推論):(Bさんは毎日昼食がファーストフードで、ファーストフードは高カロリーの食べ物ばかり。ということは…、)
⇒Aさんの結論:「毎日昼食がファーストフードのBさんは、太る。」
結論が必ず正しくなるためには、「前提が正しいこと」と「推論が正しいこと」の二点が必要になります。
「推論」は、「その前提から出発して、結論が導かれるまでの過程」と考えれば良いでしょう。これらを両方とも満たすものが「妥当な根拠」です。図にすると、こんな感じになります。
Figure.1 論証における「根拠」の全体像
続いて具体的に、前提と推論のそれぞれが間違っている場合を見ていきましょう。
誤った論証の例
前提が間違っている場合
- ソクラテスは、カエルである。
- カエルは、両生類である。
- 従って、ソクラテスは両生類である。
この結論は、間違っていますよね。ソクラテスは両生類じゃありません。この論証は、いきなり一つ目の前提である「ソクラテスは、カエルである」が間違っているので、その後の推論は正しくても、結論は間違っている、という結果になります。こういう場合、私たちは「論理的には合っているが、前提が間違っているため、結論は間違っている」という表現をします。
さて、このときの「論理的」という言葉は、「推論」部分だけを指しています。「前提」は「論理的」のなかに含まれていません。前提が正しいのかどうかということは、「論理の “外” のこと」であって、単に知っているかどうか、予め分かっているかどうかの問題ということですね。
この例でも「ソクラテス」が古代ギリシアの哲学者であることを知らなければ、もしかしたら普通に珍しいカエルの一種だと思うかもしれませんよね。確かに、論理というよりは単なる知識のように思えます。
推論が間違っている場合
- ゴリラは、哺乳類である。
- ハチ公は、ゴリラではない。
- 従って、ハチ公は哺乳類ではない。
これも、結論が間違っていますね。ハチ公は犬ですから、哺乳類です。さっきのと同じでしょうか?でも、今度は少し様子が異なります。
今回は、前提は確かに正しいことを言っており、間違っていません。ゴリラは哺乳類ですし、ハチ公はゴリラではありません。それにもかかわらず、結論が間違っています。ということは、推論が間違っているということですね。
この例は「前件否定の誤謬」と呼ばれる有名な論理的な間違いです。論理的な間違いのことを、論理学では「誤謬(ごびゅう)」と呼びます。ゴリラは確かに哺乳類ですが、哺乳類には他にも犬や猫や馬もいます。そのため、一点目の前件「ゴリラである」を否定しても、哺乳類であることを否定したことにはならない、というのが、この推論が間違っている理由になります。
この場合は、私たちは「前提は合っているが、論理的に間違っているため、結論は間違っている」と感じます。前提は合っているのですが、そこから結論に至る “間” に、間違いがあるということですね。これが推論の間違い、誤謬です。
「推論」を正しく使いこなす力
これまで見てきたように、前提の妥当性については、知ってるかどうか、予め分かっているかどうかだけの場合が多いため、これは論理的思考能力に含めなくてよいでしょう。一方、推論の間違いを見抜く力、正しく推論を進めていくことのできる力は、まさに論理的思考能力そのものと言ってよいでしょう。
「推論」を正しく使いこなせること、それが論理的思考能力の要です。でも、どうしたら良いのでしょう、上述の例のような推論の間違いや、どういった形の推論であれば正しいと言えるのかを、ひたすらしらみつぶしに調べ上げていくしかないのでしょうか?
…はい。実はその通りなんです。
偉大な先人たちが様々な推論について緻密に調べ上げ、「このような推論であれば正しい」という論理的原則を整理して体系的に研究する学問、それが論理学なのです。
さて、「推論」はまだまだ奥が深いです。さらに論理の海の深くへ潜っていきましょう。次回は「推論の種類」について考察します。お楽しみに。
今回のまとめ
- 結論が必ず正しくなるためには、「前提が正しいこと」と「推論が正しいこと」の二点が必要。これらを両方とも満たすものが「妥当な根拠」。
- 前提が正しいかどうかは、知ってるかどうか、予め分かっているかどうかだけの問題。なので、「論理的」かどうかは、ほぼ推論が正しいかどうかと同義になる。
- 偉大な先人たちが様々な推論について緻密に調べ上げ、「このような推論であれば正しい」という論理的原則を整理して体系的に研究した学問、それが論理学である。
ではでは今回はこの辺で。
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