「自分がされて嫌なことは、人にするのはやめましょう」という言葉を耳にすることがしばしばあります。皆さんも小さい頃、親や幼稚園の先生から、あるいは道徳の授業などでそう教えられたことがあるかもしれませんね。
うーん、惜しい!
残念ながら、はっきり言ってこの言葉はたいして正しくありません。
そもそも、何のために人に迷惑をかけないようにするのか?
人に迷惑をかけないとどんな良いことがあるのか?
今回は、「人に迷惑をかけない」を考察します。
「自分がされて嫌なことは、ひとにするのはやめましょう」が正しくなる条件
この言葉が正しくなるのは、「自分がされて嫌なことと、相手がされて嫌なことが、たまたま一致した」場合だけです。
場合分けをしてみましょう。
- 自分がされたら嫌なことが、相手にとってもされたら嫌なことだった場合
⇒それをするのはやめておきましょう。 - 自分がされたら嫌なことが、相手にとってはされても特に嫌なことではなかった場合
⇒別にそれをしても構わなかった。 - 自分がされたら嫌なことが、相手にとっては逆にされたら嬉しいことだった場合
⇒むしろそれをした方が良かった。
これだけでも、この言葉が必ずしも正しくないことがすぐに分かります。
さらに、自分側も追加で3通り拡張して整理すると、以下の表になります。
Figure.1 自分および相手の嗜好と最適な行動
この言葉が適用できるのは、様々な場合がある中のごく一部の状況だけであることが分かります。この言葉は、9パターン中、たったの1パターンしかカバー出来ていません。
もちろん、実際の発生割合は単純に9分の1ではなく、常識的な内容、例えば「突然犬の糞を顔に投げつけられたくない!」のような、全人類の99%は嫌であろう事柄であれば、「まあ、俺も嫌だし、相手も嫌だろう」と思っても大丈夫な場合も多いでしょう。しかしながら、「フラッシュモブでプロポーズをされたいか」のような、人によってかなり好みの分かれそうな事柄であれば、その場合は慎重に判断が必要になります。
「相手本位」という考え方
さて、表を眺めると、一目瞭然に、もう一つの示唆が得られます。
縦列、つまり、相手の嗜好と、最適な行動の結論が一致しているということです。裏を返せば、相手に対して何かをするときには、自分の嗜好は一切さっぱり関係ない、ということ。
Figure.2 相手の嗜好と最適な行動の一致
単に自分の好みを相手に押し付けても、自己中心的、自己満足、にしかなりません。整理してみれば一目瞭然で、当然そんなことは分かってるよ、なんて思うのですが、意識していないと意外にそんな行動を取っていることがあるかもしれません。
注意が必要なのは、以下のパターンの場合です。
- 自分がされたら嬉しいことが、相手にとっては嫌なことである場合。
- 自分がされたら嫌なことが、相手にとってはしてくれたら嬉しいことである場合。
どちらも、自分の嗜好と、相手の嗜好が真逆の場合です。こういう状況では、無意識に自分の主観を前提に考えてしまいがちです。
Figure.3 要注意パターン
あなたがとても好きなアーティストが居たとして、ファン心理としては「この良さをみんなにも是非分かってもらいたい!!」なんて思っている場合に、CDやDVDを貸しまくり、「聴いた?観た??すっごく良かったでしょー!?」と押し売る行動には、相手はちょっとうんざりしているかもしれません。
一方、あなたがお酒が飲めなかったとして、「自分はお酒が飲めなくて、それを知らない人からお酒をいただくと困ってしまうのだけど、お世話になった上司はとても日本酒が好きだと常々聞いていたから、送別の品は評判の良い日本酒にしよう。」なんていう行動は、あなたがお酒を飲めないながらも、口コミを読んだり店員さんに聞いたりして色々調べてくれたんだな、という気遣いを感じて、とても喜ばれると思います。(ベタな、定番商品だったとしても、ね!)
行動の選択にあたっては、相手と自分の価値観が異なることを前提に考える必要があります。しかしながら、相手と自分は別の人間ですから、予想を確実に当てる方法は存在しません。
では、どうすればよいのでしょうか?
それは、絶対に100%は分からないながらも、「相手にとって嫌なことでないかどうか、相手が本当に喜んでくれるかどうかを、ちゃんと考えてみる。想像する。ベストは直接はっきり聞いてみる。」ということではないでしょうか。
サプライズプレゼントのときなどは、当然相手に好みを直接聞くわけにはいきません。だからこそ、ちゃんと考えることが重要です。直接聞くわけにもいかない、でも、何か差し障りがないか、本当に喜んでもらえそうか、過去の会話で「あんな感じのもの貰ってしまうと困っちゃうんだよねー」なんて言っていたことは無かったか??
それらを真剣に捉え、吟味し、「相手本位」で考えること、それが最も大事です。
これらは決して、上司や恩師などの目上の方に対する場合だけに必要な態度ではなく、家族や親しい仲間、部下や後輩、子供、それどころか全くたまたま居合わせた電車内で隣り合った人に対してすら、望ましい態度と言えるでしょう。「親しき仲にも礼儀あり」とは言いますが、実際のところは「親しくない仲にも礼儀あり」、いや、というかもう「誰にも彼にも礼儀あり、親しさも、部下でも年下でも関係ない、とにかく誰にでもまずは礼を尽くせ!!」 という態度が望ましいと思います。
「ひとに迷惑をかけない」は目的ではない
さて、ここまで「ひとに迷惑をかけない」ことを実現するための方法を考察してきましたが、実は「ひとに迷惑をかけない」は目的ではありません。
「ひとに迷惑をかけない」は、多種多様な人々が暮らしを営むこの世界において、みんなが不快にならず気持ち良く過ごせるようにするための手段です。
とはいえ、望まずともやむを得ずひとに迷惑を掛けてしまう場合もあるかと思います。というか、完全にひとに迷惑をかけないで生きていくことなど不可能です。ですが、それは「積極的に迷惑をかけろ」ということではありませんし、「迷惑をかけなければ何をやってもいい」なんていうことでもありません。そして「迷惑をかけないよう人目を気にして萎縮しろ」ということでもないし、「自分に迷惑をかけてきたやつを絶対に許すな」ということでもない。
出来るだけ自分からは迷惑をかけないようにしつつ、ひとから迷惑をかけられた場合は「お互い様だよ」なんて言いながら笑顔で許し、みんなが気持ち良く過ごせるように努める。それがベストなスタンスだと思います。
「出来るだけひとに迷惑をかけないようにしてきた人」と「何にも意識してこなかった人」の間には、長い人生の中で大きな差がつくでしょう。前者の周りには、きっと気持ち良く過ごせる仲間が集まっていきます。「みんなが気持ち良く過ごせるように」の「みんな」には、もちろん「あなた」も含まれていて、きっとあなたも気持ちよく過ごせるはずですよ。
今後の人生、みんなも、自分も、気持ち良く過ごせるといいですね。
今回のまとめ
- 「自分がされて嫌なことは、ひとにするのはやめましょう」だけでは不正確。自分がされて嫌じゃなくても、相手は嫌かもしれないよ。
- 「相手本位」の考え方を持とう。相手に対して何かをするときには、自分の好みは、一切、さっぱり、全く、関係ない。相手がどう感じるかが最も大事。
- 「人に迷惑をかけない」は目的ではない。みんなが気持ち良く過ごせるように努めていると、きっとあなたも気持ち良く過ごせるよ。
ではでは今回はこの辺で。
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